2020年7月16日木曜日

コロナ とリモート撮影

インスタグラムを眺めていると、フォトグラファーもぼちぼち動き始めているようだ。

ロックダウン中はアーカイブを整理して見つけた写真や、自宅での撮影、ロックダウン日誌といった物をアップロードしている人が多かったが、新しく依頼を受けて撮影した作品をあげている人も増えてきた。人によっては屋外でソーシャルディスタンスに配慮した撮影風景をビデオでアップしている。

その中で気になっている傾向は、リモート撮影だ。カメラやライティング機材の設置はアシスタントがやっているのだろう。フォトグラファーは別の場所にいてパソコンやモニターなどで操作する。

確かキヤノン EOS Utilityとかいう機能があったはずなので、他のカメラメーカーも対応しているのだろう。国をまたいでの、場合によっては州や都道府県の境を越えての移動がしにくい時は便利なはずだ。撮影時にカメラの後ろにフォトグラファーがいないことで、よりワイドなレンズが使いやすくなるかもしれない。

と、ここまでは今の状況でとても有効な撮影方法のように思える。しかしアップされている写真と見ると、フォトグラファーのいつものスタンダードに及ばないように見えてしまう。いつもなら色使いやポーズ、いろんな方法を使ってクリエイティブに仕上げていた作品が、リモート撮影によって影を潜めている、といえば言い過ぎだろうか。

私の見る限り、予算のありそうな雑誌くらいしか、今のところこの手法を使っていないようだ。やはりアシスタントを使えるレベルでないと無理っぽい。というのが現時点での感想だが、いわゆるニューノーマルが続けばどうなるか。しばらく追ってみたい。

2020年5月15日金曜日

森山大道とロラン・バルト

もはやストリートスナップの伝説と化した感のある森山大道だが、常に立ち返ろうとした写真の原点は、世界最初の写真と言われるニエプスの写真だったという。(東京都写真美術館。https://topmuseum.jp/upload/3/377/2008_006_moriyama_list.pdf)。

1823年に撮影されたとされるテーブルと食器のようなものが写った写真は静的で、それが森山が立ち返る原点だとすれば興味深い。

ニエプスが写真を発明した約1世紀半後、同じフランスでロラン・バルトは遺作となる「カメラ・ルシーダ」(日本語版は「明るい部屋」)を発表した。この著作でバルトは写真について考察を加えていく。

例えば、ストゥディウムとプンクトゥムという言葉を使い、一般的な事象を説明するような写真と、個人的に突き刺されるような何かが写っている写真について書いている。

後者はさらに、何か個人的に気になるディテールが写っているものと、「かつてそこにあった」という時間そのものが突き刺すものとに分けている。考察をさらに発展させていき、最終的には「フォトグラフィック・エクスタシー」という言葉で写真と時間の関係を突き詰めていく。

が、結局のところ、その「空気」を唯一伝えるという、母親が子供の頃の一枚の写真を眺め、その死と永遠に失われてしまったものへの哀しみを表現しているようにも思える。
「ロラン・バルトの最後の本はもっとも美しく、もっとも痛ましい」というオブザーバー紙による紹介文が裏表紙に載っている。

写真について深く考えた森山にも、「突き刺す」一枚の写真があったらしい。北海道の小さな町の民族資料館のようなところで見た、転写を重ねたらしい不鮮明な写真で、明治中期のアイヌ部落が写っていたという。

「もともと写真は事物の化石化なのであるが、風景があれほど見事に化石となった写真を僕はほかに多く知らない」と自ら記している(「犬の記憶」)。

 「かつてそこにあった」ことを伝える「事物の化石」が写真だとすれば、自分を「突き刺す」写真とはどの一枚なのだろう。

2020年3月31日火曜日

可能性のきらめき

ポール・グラハムの「A shimmer of possibility」を大英図書館で見よう。そう思っていた矢先、図書館が閉まってしまった。

グラハムはいろんな賞を受賞しているだけあって、日本でも有名らしくネット上にインタビュー記事も公開されている。


コンセプチュアルな作品が多いようなので、アート系の大学で勉強した人かと思ったが、ウィキを見る限り、そういうことでもないらしい。イギリス生まれでニューヨークへ移住。日本人の彼女がいたとのことで、日本を撮影した作品もある。

本そのものを今見ることはできないが、一見思いつきのようなことからスタートして、コンセプチュアルな方向に進んでいったらしいのが興味深い。

80年代のサッチャー政権下で失業者をカラーで撮ったら面白い、というきっかけはそう珍しいアイデアではないだろう。当時を考えれば、深刻な社会問題を撮影するのにモノクロを使うのが主流だった。(今でもそういう考えの人もいる)

紛争の写真に風景写真を入れたり、過去の影と未来への希望を行き来したり、見たくない現実を表現するのに、オーバーエクスポーズしたり、いろいろ工夫している。代表作の「A shimmer of possibility」は「視覚的な俳句」がテーマだという。草刈りをしている人など、日常の断片を途切れ途切れに写している。

今はパソコン一つで本が作れるいい時代と言っているのも興味深い。ダミー本をいろいろ作っていけば出版社が興味を持ってくれるかも知れないという考え方だ。簡単になった分、競争は激しくなっているわけだが、すでに著名な作家には有利なのかも知れない。

本は全て自分でやりたいようにやるという一方、写真展は全く違いその空間に合わせるというのも面白い。

今でも精力的に活動を続けているようだが、年齢には勝てず、興味は社会的なものから個人的なことに移ってきているようだ。養護施設にいる母親を中判デジタルで撮影。浅いピントをどこに合わせるかで、彼女の人生を表現しているという。

2020年3月27日金曜日

写真家たちの反応

9.11が起きた時、マグナムフォトがニューヨークで総会を開いていたというのは結構知られた話だろう。19年前のあの時は、紛争地域での取材に慣れている有名フォトグラファーもまさかニューヨークで危険にさらされながら撮影するとは、という雰囲気で、それがメディアの関心も呼んだ。

都市封鎖というか、外出禁止令というのは、さらにその上を行くまさかだろう。
マグナムフォトは、そのスターフォトグラファーがこの「非常事態」に撮影した写真をサイトに掲載している。


これならインスタグラムの方が面白い、と思う人も多いかもしれない。しかし流石に目を引く写真もあれば、キャプションまで読むとなるほどと思わせるものもある。

前者で言えば、Peter van Agtmaelのスーパーまたは食料品店の写真。果物が色鮮やかな棚の上に店員がトイレットペーパーらしきものを積み上げている。

後者で言えば、Rafal Milachの真っ青な空の写真か。フライトが軒並みキャンセルされて、空がクリアだという。アイデア勝利と言ったところか。

流石だ。

2020年3月24日火曜日

コロナウィルス

イタリアのロンバルディア州から始まったヨーロッパのコロナウィルス禍は、イギリスにも緊張をもたらしている。

23日夜、ジョンソン首相はすでに噂にはのぼっていた強制力のある外出禁止令を出した。これについてはすでに報道されているし、ビジネスへの救済策などをいろいろと言いたいことはあるのだが、辛気臭くなるのでまた落ち着いてから書こうかと思う。

さて、写真という面で考えてみることにする。

イギリス、またはヨーロッパで今回のコロナ禍を象徴する写真はどんな写真になるだろう。病院や死体安置所など、特別な許可が必要な場所を除くと、例えばマスクをした人々、街や電車、バスを除菌する作業員、何もないスーパーの棚、間をあけて行列に並ぶ人々、人が消えた繁華街などだろうか。

自分が撮影したものではないが、なるほどと思ったのはマスクをしたイタリアの修道女の写真。地域性も感じさせ、また死者が中国のそれを超えたイタリアのコロナ禍を象徴しているようにも思える。ただ、イギリスで象徴的な写真が出てくるのはこれからだろう。

目に見えないウイルスが相手だけに、まずは自分をどう守るかが大切だ。

2020年1月16日木曜日

25年


 一枚の写真が頭から離れないことがあった。
 ゴルバチョフと若い日本人の女性が並んで撮った写真で、ある新聞の社会面トップを飾っていたように思う。弾けるような彼女の笑顔が目に焼き付いた。

京大生だったその女性は学生ボランティアとして、ゴルバチョフも参加した国際会議をサポートしていたと記憶している。しかしその後、4年生だった1995年1月17日、震災で倒壊した西宮の自宅で亡くなっていた。記事が掲載されたのは、その震災の記憶がまだ新しいうちだったと思う。

新聞記者として仕事はしていたが、当時は北陸地方の勤務。いずれ取材をする機会があるだろうと、いろんな記事を読み込んでいたが、なかなかその機会は訪れなかった。

それから4年。担当としてあの震災を取材することとなり、1ヶ月ほど神戸に住み込んだ。未だ仮設住宅に住む被災者から話を聞くと、建物は新しくなっても人の心はそう簡単に切り替えられるものではないことを知った。
気になっていた写真の女性の実家も訪れた。母親の話からは、母も知らなかった娘の人生が垣間見えた。

その母親宅には震災後、何度か心当たりのない花束が届いていた。その送り主の女性はある日訪ねてきて、知らなかった娘の話をしてくれたという。彼女は震災で亡くなった女性の一つ年下。予備校で知り合い、1年違いで京大に入学した。亡くなった女性は、現役時に落ちてしまった彼女を励ますため、翌年、校門前で待ち、京都のお宮さんにもらいに行ったというお札を手渡した。

阪神・淡路大震災から今日で四半世紀が経った。亡くなった犠牲者6434人ひとりひとりにそんな人生があったのだろうかと思う。

2020年1月1日水曜日

あけましておめでとうございます

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

年越しに合わせてメインサイトも少しだけ化粧直ししました。

http://www.akirasuemori.com/